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杉原 里志

「みんなで考えよう」という病と、思考の起点に立つ覚悟

連載記事(杉原ブログ) 2026.03.19

3月も後半です。
年度の切り替わりを前にして、多くの会社で来期の組織体制や目標について議論する会議が開かれている頃ではないでしょうか。
そんな時期だからこそ、あらためて組織の言葉や思考の質が問われる場面が増えてきます。

そのような中で、私がどうしても苦手で、そして多くの中小企業を確実に弱らせていると感じる言葉があります。

 

「みんなで考えよう」。

 

一見すると、非常に耳障りのいい言葉です。
やわらかくて、誰も排除せず、いかにも風通しの良い“フラットな組織”を体現しているかのような響きがあります。
場の空気を和らげ、参加を促し、心理的安全性を担保しているようにも見えます。

 

しかし、経営という冷徹なゲームの現場において、この言葉ほど危険で、無責任で、そして結果的に害悪になり得るものはないと考えています。
なぜなら、この一言は「誰も考えず、誰も責任を取らない」という最悪のシステムを、簡単に作動させてしまう魔法のスイッチだからです。

 

ビジネスの現場において、「自分ごと」の対義語は何でしょうか。
多くの人は「他人事」と答えるかもしれません。
しかし私は、それは少し違うのではないかと思っています。
本当の対義語は「みんなごと」です。

 

「他人事」であれば、まだマシです。なぜなら、「自分は関与しないし、責任も取らない」というスタンスが明確に分離されているからです。
冷たいようでいて、構造としては分かりやすい。誰が担い手で、誰がそうでないのかがはっきりしています。

 

しかし「みんなごと」は違います。「これはみんなの問題です」という、いかにも民主的で正しそうな体裁を取りながら、実際には「誰の責任でもない状態」を巧妙に作り出します。誰もが会議室に座り、うなずき、発言し、参加しているように見えます。しかし、誰一人としてリスクを引き受けていない。この状態が、もっとも厄介なのです。

この「みんなごと」という生ぬるい構造が、組織から推進力を静かに、しかし確実に奪っていきます。

では、この「みんなごと化」はどこから発生するのでしょうか。

社員の意識が低いからでしょうか。現場が受け身だからでしょうか。私はそうは思いません。

 

震源地は常に上位者、つまりトップやリーダーです。

トップが、自分の頭で限界まで考え抜くことをどこかで放棄している。進むべき方向を、自分の言葉として定義しきれていない。その状態のまま、自らの思考の粗さや曖昧さを覆い隠すために、「みんなで考えよう」という言葉を使ってしまうのです。

 

これは、やさしさではありません。思考の委譲でもありません。単なる思考の先送りであり、責任の分散です。

その結果、会議室では何が起きるでしょうか。

 

トップから降りてくるテーマは、解像度が極めて粗いものになります。論点は曖昧で、前提条件も共有されておらず、何をもって「正解」とするのか、その評価軸すら定義されていません。
その状態で会議を始めれば、議論が散らかるのは当然です。

 

各自がそれぞれの立場や経験から意見を出します。しかし前提が揃っていないため、議論は決して噛み合いません。論点は枝分かれし続け、無限に増殖していきます。収束の気配はなく、時間だけが過ぎていく。

 

そして恐ろしいことに、トップやそれを支えるリーダーたちはその無秩序な状態を見て、「今日は活発な議論ができましたね」「いろんな意見が出て良かったです」と満足してしまうのです。

ここに、ビジネスにおける決定的な誤解があります。

 

意見が飛び交う会議は、決して“活発”なのではありません。単に「整理されていない」だけです。参加者の思考が前に進んでいるのではなく、ただ無重力空間を漂っているに過ぎません。
時給換算で数千円の人材が何人も集まり、数時間を費やして何も決まらない。この状況は、冷静に見れば極めてコストパフォーマンスの悪い、経営資源の浪費です。

本来、ビジネスにおける有意義な会議、良い議論とは、もっと地味で、ときに息苦しいものです。

 

それは静かに、しかし確実に「選択肢を削り落としていくプロセス」です。前提を揃え、言葉の定義を統一し、論点を研ぎ澄まし、「イエスかノーか」「AかBか」を突き詰めていく。
その結果として、多くのアイデアが淘汰されていきます。会議とは、アイデアを無限に広げる場ではなく、アイデアを殺し、最適解に絞り込むための場です。

 

少し強めに言い切ります。
「みんなで考えよう」と言う前に、リーダーはまず孤独に、たった一人で考え抜くべきです。

不完全でも構いません。偏っていても構いません。重要なのは、自分の頭で仮説を立て、自分の言葉で「これが現時点の最適解だと思います」と言い切ること。

 

そのうえで、「私はこう考えていますが、どう思いますか」「この前提にズレはありませんか」と問いかける。この順番が、思考を前に進めます。

ビジネスは多数決ではありません。誰かがリスクを引き受け、「これでいきます」と決断するからこそ、組織は前に進みます。
組織における思考の質は、参加人数の多さや意見の総量では決まりません。思考の“起点”で決まります。誰が最初に、どれだけの深さで、どれだけの責任を背負って考えたか。勝負はそこでほぼ決まっています。

 

「みんなごと」という摩擦のない世界には、前進する力はほとんど存在しません。衝突がない代わりに、推進力も生まれないのです。
組織を動かすのは人数ではありません。「責任を引き受けた人間の言葉」です。

 

「みんなで考えよう」という心地よい言葉に安住するのではなく、自らが思考の起点になる。その覚悟を持つこと。
それができてはじめて、リーダーという役割は機能するのだと思います。言い換えれば、それができないのであれば、その席に座り続ける意味はないのかもしれません。

この記事を書いた人
2021年に株式会社ixisを創業し、代表取締役を務める。人材業界で新規事業立ち上げに従事した経験を活かし、「ぐっとくる会社を、もっと。」をビジョンに、中小企業の経営力向上と組織開発を支援。経営者向け勉強会「経営の仕組み化ラボ」を主宰し、地域企業のネットワーク構築や課題解決に取り組む。ITと人事の融合による実践的なコンサルティングで、地域経済の活性化を目指している。
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