- 杉原 里志
子供の寝顔と、千里眼の限界

3月に入って、
少しずつ空気がやわらいできました。
年度末。
立場も環境も、じわりと変わる季節です。
そんな折に、ふと思い出すことがあります。
私はこれまで、
「社長になって初めて見える景色がある」
という類の言葉を、
できるだけ口にしないようにしてきました。
むしろ、
1ミリたりともそんな感情を持たないように、
と意識してきたほうです。
ナンバー2の時間が長かった。
部下として過ごした時間のほうが、
圧倒的に長い。
だからこそ、
「社長ならどう考えるか」
「上司ならどう感じるか」
「この人の立場なら何に悩むか」
その人以上に、その人の立場を想像する。
それを徹底してきたつもりです。
起業してからも、
「やっぱり社長にならないと分からないことがある」
なんて、
一度も思わなかった。
青年経済団体で会長を務めたときも同じです。
会長になったら何か特別な景色が見える、
なんて思わないようにしていました。
支える側のときから、
上の視座で考え、
準備し、
決め、
任せる。
自分が会長になる頃には、
何も特別な発見などなくていい。
そう思ってやってきました。
実際、
「会長になって初めて見えたもの」
なんて、何もなかった。
…そう思っていました。
ただ、ひとつだけ。
昔、上司が言った言葉があります。
「子どもの寝顔を見ると、
疲れが吹き飛ぶんだ。
明日も頑張ろうって思えるんだよ。」
そのときの私は、
内心こう思っていました。
“家族も大事でしょう。
でも、俺たちもあなたのために
必死でやってますよ。
俺らの顔を見て、
もっと頑張ろうって思ってくれよ。”
言いませんでしたけどね。
若いなりに、相当必死でしたから。
でも今は、分かります。
本当に、分かる。
子どもの寝顔というのは、
理屈ではないのです。
どれだけ救われるか。
どれだけ心がほどけるか。
どれだけ「明日もやるぞ」と思えるか。
あれは、
当事者にならないと
身体感覚としては分からなかった。
ここで初めて、
私は気づくわけです。
「ああ、自分にも死角があったな」と。
私は、
“ステージが変わったから見えた”
と言わないように生きてきました。
でも、
見えるものは変わらなくても、
感じ方が変わることはある。
そしてその変化は、
どれだけ想像力を働かせても、
100%は埋められないことがある。
全方位の千里眼。
そんなものが持てたら、
経営も、人間関係も、
きっともっと楽でしょう。
でも現実は、
どうしても「立ってみて初めて分かる」
感覚がある。
だからといって、
想像をやめる理由にはならない。
むしろ逆で、
「自分は分かっている」
と慢心しないために、
この経験は必要だったのだと思います。
経営でも同じです。
部下の気持ちは分かっている。
現場は理解している。
お客様の立場も考えている。
そう言い切るのは、簡単です。
でも、
“分かったつもり”の中に、
必ず死角がある。
だからこそ、
想像し続ける。
問い続ける。
そして、ときどき自分の盲点に気づいて
静かに反省する。
これが、
立場を越えて物事を見る
唯一の方法なのだろうと思います。
社長になって見えた景色はない。
会長になって見えた景色もない。
そう言い切りたい自分は、
今もいます。
でも、
子どもの寝顔に救われる自分を知った今、
こうも思うのです。
「ああ、人はやっぱり、
全部は分からないのだな」と。
それでいい。
分からない部分があるからこそ、
想像し続ける。
完璧な千里眼ではなく、
未完成な視力で、
それでも見ようとする。
その姿勢こそが、
リーダーの矜持なのかもしれません。
全方位の千里眼は難しい。
でも、
死角があると知った人間は、
少しだけ優しくなれる。
そして少しだけ、
強くなれる。
そう感じた、ささやかな気づきでした。