- 杉原 里志
スポットライトの届かない場所で、人は何をしているか。

そこには強い光が当たり、やりがいという名の熱があり、喝采という目に見える評価がある。
「よし、やってやろう」と、自然に背筋が伸びる。
これが、組織人としての、いや、人間としてのいちばんの分かれ道だと思っています。
正直に言えば、私たちは弱い。 自分が脇役のときには、つい手を抜きたくなる。
人間ですから。 自分の可愛さには勝てないし、他人の成功を心から喜べるほど、私たちは高尚にはできていない。
それは支援じゃない。それは、言葉による「静かなるボイコット」です。
組織というのは、輝かしい主役の連続でできているのではありません。
脇役の本気が、主役を主役に押し上げている。
その、見えない場所での「体温」の積み重ねでしか、組織は前に進まない。
だから私は思います。
恥を知れ、とまでは言わない。
でも、自分自身に、静かに問い直してほしい。
私は、そう思っています。
委員長が、迷いなく前に立てる状態をつくること。 これが、副委員長の本質です。
• 委員長が矢面に立てるよう、泥をかぶる裏を引き受ける
これをやり切った副委員長は、正直、目立ちません。 誰からも褒められないかもしれない。
でも、「この委員会、うまく回っているな」と感じさせる空気は、ほぼ間違いなく、その副委員長がつくっています。
ここからの学びは、実はとてもシンプルで、かつ切実です。 人は、“主役の練習”を、脇役の時間でしかできない。
副委員長の立場で、委員長を立てることができない人は、委員長になったとき、必ず孤立します。
なぜなら、「支える側の視点」、つまり「支える側の痛み」を知らないから。
逆に、副委員長として本気で支え切った人は、委員長になった瞬間、わかります。
「ああ、こうしてもらえると助かるんだな」
「ここを引き受けてくれる人が必要なんだな」 と。身体感覚として、理解できる。
この感覚を持っている委員長は、強い。 そして、なによりも、優しい。
その優しさは、弱さではなく、強さからくる優しさです。
もう一つ、学びがあります。
副委員長は、“評価されない覚悟”を引き受ける役職だということ。
成果は委員長のものになる。拍手も、感謝も、前に立つ人に集まる。
それでも、「まあ、いいか」と笑えるかどうか。
ここで拗ねてしまう人は、どんな役職についても、結局、組織を私物化してしまう。
まとめます。
• 脇役で本気を出せない人は、主役の器ではない
これは、経済団体に限らず、会社でも、プロジェクトでも、家庭でも同じです。
だからこそ。 「今は副委員長だから」という言い訳をした瞬間に、人としての成長は止まる。
今、誰を主役にしているか。 その、誰にも見られていない時間の過ごし方が、次のあなたをつくる。
私は、そう思っています。