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杉原 里志

評論家という安全地帯から、体温のある言葉は生まれない。

連載記事(杉原ブログ) 2026.02.22

経済団体。そこは、地域の経営者たちが集まり、夜な夜な自社のことや地域のこと、そして不確実な未来について語り合う場所です。いわば「経営を学ぶ道場」であり、いい年をした大人たちが汗を流す、不器用で泥臭い青春の舞台でもあります。

ある団体のトップが、自ら真剣に事業計画書を作り上げ、メンバーに向けてこう呼びかけました。「みなさんも、自分の会社の未来をきちんと言葉にして、計画書を作りましょう」と。

彼はただ口先で号令をかけているわけではありません。自らが誰よりも悩み、苦しみ、不完全な情報の中で未来を紙に固定するという、身がよじれるような痛みを伴う作業をやり遂げたうえで、背中で語っているのです。それは、組織のリーダーとして、とても美しく、尊い光景だと私は思います。

蓋(ふた)をする幹部たち

ところが。そのトップのすぐ傍にいて、彼を最も強く支えるべきはずの幹部たちが、一向に動こうとしない。

「いや、今は本業が忙しくて」

「ちょっと今は、タイミングが合わなくて」

「頭の中にはあるんだけど、まだ文章に整理できていなくて」

彼らの口からは、立派で、もっともらしい理由が次々と並べられます。そうして、決して自分の事業計画書を作ろうとはしない。

しかし、数年後。いざ自分がその団体のトップになる順番が回ってくると、彼らは途端に顔色を変え、大慌てで計画書を作り始めるのです。ここに感じる、チクリとした強い違和感。これは一体、何なのでしょうか。

彼らが使っている「忙しい」という言葉は、事実ではありません。それは、私がよくコラムに書く「蓋(ふた)」です。トップが発する本気という圧倒的な熱量。そして、自分自身の会社の現在地と直面し、不確実な未来を言葉にするという巨大な重圧。その熱と重さに対して、彼らは静かに、けれど固く、自分自身の心に「蓋」をしているのです。

「私はまだトップではないから」「今はあくまでトップを支える脇役だから」という言葉を自分自身に言い聞かせ、その言葉に操られることで、彼らは自分の心に麻酔を打っています。そうやって、責任を負う必要のない「評論家」という安全地帯に身を隠しているのです。

彼らは「トップを支えている」つもりなのかもしれません。しかし、トップが放つ本気の熱量に対して、同じだけの熱で呼応しようとしないその態度は、支援などではありません。それは、冷え切った静かな「分断」です。自分だけは安全なスタンスを取り、火の粉をかぶらない距離からトップを眺めている。その冷徹な傍観者としての姿勢が、違和感の正体なのです。

「似合うけど、気分が悪い服」

そして、時が流れ、順番が来て、いざ自分がトップに指名される日がやってきます。すると彼らは、これまでの評論家気取りを捨てて、慌てて「主人公の服」を着ようとします。トップとしての体裁を保つために、急ごしらえで経営計画書をまとめ上げ、高邁なビジョンを語り始める。

でも、その時に出来上がった経営計画書は、往々にして「似合うけど気分が悪い服」になってしまいます。周りからは「さすがトップですね、立派な計画です」とホメられるかもしれない。肩書きには似合っている。けれど、着ている本人にとっては、どこかチグハグで、しっくりこない。首回りがきつく、袖を通すたびに居心地の悪さを感じる。

なぜなら、その言葉の中には、彼自身の「体温」が宿っていないからです。

経営計画書というのは、紙の厚みや、印刷の綺麗さではありません。覚悟の厚みです。自分が脇役であったとしても、誰かの「本気」に触れたなら、自分も本気になって火の粉をかぶる。「トップがやれと言っているから」という義務感で書くのではない。「トップの熱に当てられて、自分の中のくすぶっていた火が燃え移ってしまったから、居ても立ってもいられずに書く」。そういう、理屈を超えた泥臭い共鳴、人間と人間の摩擦から生まれる熱だけが、その人の紡ぐ言葉に、深く、生々しい体温を与えます。

評論家の言葉

「自分が主役になる順番が来たからやる」という、損得勘定や自己都合で書かれた言葉。

当事者の言葉

「脇役の時から、トップの熱を自分の痛みとして引き受けてきた」という、狂気にも似た当事者意識から生まれる言葉。

この二つは、文字面にすれば同じような綺麗な言葉に見えるかもしれません。しかし、人を動かす引力、言葉の裏にある「質量」がまったく違います。人間は、その言葉が安全地帯から放たれたものか、それとも火傷を負いながら絞り出されたものかを、無意識のうちに嗅ぎ分ける能力を持っています。

団体活動の品格とは、順番で回ってくる立派な役職が作るものではありません。トップの言葉に対して、どれだけ本気で呼応し、ともに傷つき、ともに泥をかぶる覚悟を持てたか。その「態度の集積」こそが、その団体の文化になり、空気になっていくのです。

自分がトップという安全な椅子に座る前に、どれだけスポットライトの当たらない暗がりで、自社の未来を書こうと藻掻いてきたか。自分の弱さに蓋をせず、評論家にならず、不完全で不格好なままに、自分の血肉を削って言葉を紡いできたか。それが、本当のリーダーの「履歴書」になり、やがてその人の「顔つき」になっていくのだと、私は思っています。

・ ・ ・

私自身のこと――「ワクワクしていない」と言われた創業期

もう5年くらい前のことになりますが、私が前の会社を辞め、自分の会社を創業すると決めたときのことです。周囲の知人から、こんなことを言われました。

「あいつ、大丈夫か?」

「なんか、ちっともワクワクしてなさそうだよな」

「自分で起業するってのに、全然楽しそうじゃない。」

正直に言うと、私はこれらの言葉を聞いて、かなりの違和感を覚えました。なぜなら――私は、ずっと全力だったからです。

私は、前の会社(他人の会社)にいる時でも、常に命がけで仕事をしていました。他人の株式会社だからといって、資本関係がないからといって、手を抜いたことは一度もありません。深夜まで働き、胃を痛め、クライアントの期待に応えるために、自分のすべてを注ぎ込んでいました。

むしろ背負っていたものは、創業時の自分の会社より、前の会社のほうがよっぽど重たかった。社員たちの生活、取引先と交わした約束、会社が長年積み重ねてきた重厚な信用。そういったものを背負って矢面に立つことの重圧は、計り知れないものでした。

だから、自分で会社をやるほうが、まだ気が楽なんです。なぜなら、全部が自分の責任だからです。自分が倒れれば自分が損をするだけで、誰かに迷惑をかける規模もまだ小さい。すべてを自分で引き受けられるという点において、創業時というのは、ある意味でとても身軽でした。

「他人の会社だから、ワクワクしないし、手を抜く」「自分の会社だから、ワクワクするし、本気を出す」。そんな区別は、私の中には1ミリもありませんでした。どこにいようが、誰の船に乗っていようが、常に全力。常に真剣。生きるか死ぬか、ただそれだけです。

「ワクワク」という軽薄な言葉

だからこそ、「ワクワクしていないから成功しないよ」という軽薄な言葉を聞いたとき、私はこう思ってしまったのです。

ああ、この人は――きっと、他人の会社では、どこかで理由をつけて手を抜いてきた人なのだろうな、と。

「自分の会社だから本気を出す」「自分が主役だから全力になる」。その発想自体が、すでに「評論家」の匂いを強烈にまとっています。条件が揃わなければ本気を出さないという態度は、裏を返せば「条件が揃わなかったから失敗した」という言い訳(蓋)を、常にポケットに忍ばせているということだからです。

経営は、遊園地のアトラクションではありません。自己実現だとか、ワクワク感だとか、そんなフワフワした感情のモノサシで測るものではない。経営とは、腹の奥底にある、冷たくて静かな覚悟のことです。

創業に向けた準備期間は、夢に向かって浮かれるような楽しい時間ではありませんでした。自分がこれから背負うことになる責任の重さを、ただひたすらに噛みしめ、自分の現在地を確認し、未来の不確実性に震える時間でした。だから、私の顔はこわばり、引き締まっていただけなのです。これから自ら火の海に飛び込んで、火傷をしにいく覚悟がある人間は、むやみにヘラヘラと笑ったりはしません。

組織は「熱の伝播装置」である

経済団体の幹部たちが、「自分がトップになったら本気で計画書を作る」と息巻くのは、まさにこの「自分が創業したらワクワクする」というのと同じ、ひどく貧しく、薄っぺらい構造です。本当に本気の人間は、立場がどうであれ、肩書きが何であれ、いつでも本気なんです。ワクワクしているかどうか、などという感情論はどうでもいい。問題は、今ここで、火傷をする覚悟があるかどうか。それだけです。

トップがいくら素晴らしく、優れた戦略を描いても、その下にいる人間たちが「評論家」であれば、組織は絶対に光りません。逆に、下にいる人間たちが本気で火傷を引き受ける覚悟を持っているなら、トップはもっと高く、もっと遠くまで飛ぶことができる。

組織とは、単なる人の集まりではありません。「熱の伝播装置」なのです。誰かの凄まじい覚悟に触れて、自分の奥底に眠っていた覚悟が燃え上がる。その火が隣の人へ移り、また次の人へと燃え広がっていく。その熱の連鎖、共鳴の連続こそが、組織の「文化」と呼ばれるものの正体です。

自分が主役になる日を、安全な舞台袖で腕組みをして待つのか。
それとも、脇役のままであっても、今この瞬間から舞台のど真ん中に飛び出していくのか。

立場や役職が、人を本気にするのではありません。本気の人間が、その立場や役職に、後から「意味」を与えていくのです。評論家という安全地帯に身を置いている限り、あなたの熱は誰にも伝わりません。傷つくことを恐れ、自分の不完全さに「蓋」をしている限り、あなたの言葉は誰の心も動かしません。

だから、外へ出ましょう。火傷をしにいくのです。

不完全なままでいい。みっともなくていい。ただ、自分が発した言葉の責任を、自分の体重ごと引き受けること。熱狂の渦の中心へ飛び込み、火の粉を浴びて、火傷の痕を自分の「誇り」として残すこと。

それができる人だけが、本当に組織を前に進め、自分の人生の真の主人公になれるのだと、私は強く思っています。

この記事を書いた人
2021年に株式会社ixisを創業し、代表取締役を務める。人材業界で新規事業立ち上げに従事した経験を活かし、「ぐっとくる会社を、もっと。」をビジョンに、中小企業の経営力向上と組織開発を支援。経営者向け勉強会「経営の仕組み化ラボ」を主宰し、地域企業のネットワーク構築や課題解決に取り組む。ITと人事の融合による実践的なコンサルティングで、地域経済の活性化を目指している。
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