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人生最大の後悔

NEWS 2021.04.03

 

今でこそですが

過去にこだわりは

なくなりましたが

 

節目なので少しだけ書かせてもらいます。

 

過去、最大の後悔について。

 

どこにでもある

ひとつの昔話です。

 

高校生の頃、バンドをやろうとなり、

仲のいい友人で最初のバンドを組みました。

 

バンドをやるという以外

何も決まってないけど

それだけで何か楽しくなって。

 

バンドが何かもよくわからないし

何の楽器もできない17歳の自分は

余っていたギターをやることになりました。

 

バンドではギターが2人いても

不自然ではないらしく、

素人の自分は楽しさ変わらず

責任感は半分といういいポジションに

ついたものだと喜んだものです。

 

中学3年生の時の音楽の時間に

「コンドルが飛んでいく」をアコギで

弾いて以来の楽器。

それは、実にひどいレベルで

冗談抜きで幼稚園児の木琴演奏の方が

マシなレベルです。

 

歌唱力、音感、リズム感

どれをとっても人並み以下。

 

才能がないというのは

実に恐ろしいものです。

 

小学生の頃からの友人が

XJAPANのYOSHIKIが好きで

ビジュアル系をやろうという

方向性が決まっていきました。

 

完全に乗っかっています。

L’Arc~en~Cielが

メジャーデビューをしたてで

まだビジュアル系という言葉がない

1996年のこと。

 

 

同じ杉原という名字ということで

LUNASEAのSUGIZOが好きになり

髪を赤くして格好から入る。

 

 

このあたりの順序は今も昔も

大して変わらないものです。

 

下手くその過ぎるギター少年は

そのまま、メジャーデビューを

目指して音楽をやることにします。

 

小学生の頃からいつも一緒にいた

ドラムのメンバーと話をして

ゆっくりとその意志を固めました。

 

中学校の野球部の先輩のバンドが

メジャーデビューしたのも

気持ちを後押ししてくれました。

 

音楽に専念するため

進学した学校にも通わず

4月には退学。

 

バンドをはじめて2年経過した

19歳の夏のライブの日。

 

会場に少し早めに到着して

メンバーを待っていると

小学生の頃からお世話になっている

ドラムのお母さんから、

電話がかかってきました。

 

「昨晩、息子がマンションの屋上から飛び降りて、重体…」

飛び降りたメンバーのことを思いながらも

そのバンドの立ち振舞いをどうするべきか。

 

ライブ関係者にアレコレと謝罪、

調整してまわりました。

 

一通りの謝罪を終えて

病院にかけつけると、

ドラムの友人は

一命はとりとめたものの

下半身が砕けて、もう普通の生活はできないとのこと。

 

XJAPANのHIDEの死亡報道のあった1998年。

 

意識を取り戻した彼から聞いた話は

プロになろうと言い出したのが自分なのに

そのプレッシャーに押しつぶされて

逃げ出したくなった。

ということらしい。

 

音楽の才能もあり

ドラムもかっこいい。

 

彼と一緒に音楽をやるために

活動していたバンドは結局解散することに。

 

行き場を失っていた自分が

次に加入することになった

2つ目のバンド。

 

 

 

 

少し年上のお兄さんたちがいて

弟的な感じに気楽にできるのが

とても心地よく、

 

プライベートも、音楽も

随分充実した活動をさせてもらいました。

 

下手くそだったギターは

少しだけマシになり

インディーズ活動に

少しだけ手応えを感じはじめました。

 

2つ目のバンドに加入して

2年経過した21歳の夏のライブの日。

 

会場設営の手伝いをしつつ

リハをするものの、

ボーカルがこない。

電話をしても出ない。

約束の時間を過ぎても来ない。

 

来るか来ないかわからないものの

イベントを運営してもらうために

他のバンドに時間を長くお願いしたり

主催者に謝罪したりと右往左往です。

 

結局、

人生で2度目の

当日イベントキャンセル。

 

関係者やお客さんに対しての申し訳無さに、

一体自分は何をしているのだろうかと

情けなくなりました。

 

後日、そのメンバーから連絡があり

交通事故を起こして

気が動転して連絡することなく

事故対応していた。

 

という説明だったようです。

「一本くらい連絡しろよ、、」と、

無責任さに腹をたてたものです。

 

ただそれと同じくらい、

「まあ、仕方がない」と、受け入れた

メンバーにも腹をたてました。

 

彼らは、バンド活動をやりつつも

大学院に通っていたし、

すでに働いているメンバーには家業があり

進学を捨てて仕事を掛け持ちして

バンドに対して経済的

負担を大きく担っている

自分と比べても逃げ道があるように見えました。

 

事実、学歴やキャリア形成の視点で

身を削ってバンド活動をやっている

という感覚は強く、

 

その温度差が消化不良となり、

ギターを部屋から外に投げ捨て

バンドを脱退を決めました。

 

温度差はありながらも

大好きなメンバーで

大好きな音楽が生まれ

そのすべてがバンドにありました。

 

その大好きなのに、

温度感をうまく調整することができないこと。

将来への不安。

 

苛立った自分は

その感情を抑えることが出来ず

脱退しました。

 

その日から。

その日から、消化不良の日々。

 

何をやっても、楽しくない。

霞がかったような毎日です。

 

人生最大の後悔を

あげるとするならば、

このバンドの脱退です。

 

感情は大切だけれども

そのまま出してしまうと

大切なものを失うこともある。

 

大切だった居場所も目指すものも

失ってしまう。

 

飲み込むことも

とても大切なのだと

学んだ21歳。

 

そのときから、

少し感情表現は抑えるように

なったかなとは思います。

 

よく冷めているように

みられるのですが

中身はアレコレと考えています。

 

何を目指すのか。

誰と生きるのか。

どう生きるのか。

 

せっかく生きていくのだから

つまずいて、転んだって

前を向いて、目指すものを見ていたい。

 

そして、誰とやるか。

も、こだわりたい。

 

そして、そこに自分が

活躍できる役割があれば

少しのトラブルは目をつむればいい。

 

バンド脱退の経験から

自分らしくあることと

我慢することの大切さを学んだつもりです。

 

あのバンドを脱退した21歳の夏から

21年が経過して、42歳になりました。

 

あの夏の日から

社会人としての時間の殆どを

一人の上司のもとで過ごしました。

 

モノクロームだった日常は

職場で役割を与えられたことで

徐々に彩りを取り戻し

少しずつ人生に意味を

与えてくれました。

 

とても、ありがたいものです。

居場所をなくした自分が

あがいてようやく手に入れた

かけがえの無い大切な場所。

 

そこで、わかったこと。

 

一緒に目指したい未来像があり

そこには、一緒にいたい仲間がいる。

これが、どれほど大切なものなのか。

 

きれいな21年間ではないのですが

泥にまみれて、アレヤコレヤと

語り合えたのはかけがいのない時間でした。

 

42歳、冬。

21年間お世話になった

上司のもとを離れました。

熱くて賢くて気持ちのいい

後輩たちとも離れました。

 

それでも、

不思議とあのバンドを

脱退した日のような

後悔とか迷いはありません。

 

それはなぜなのか。

 

 

それは自分ではよくわからないのですが

その答えはゆっくり

言語化していきたいと思います。

 

自分が考えていることが

正しいのかどうか、それは

自分にもわかりません。

 

シンプルな結論を出すためには

そういう面倒くさい遠回りが

必要なのでしょう。

 

42歳にもなり思春期

ど真ん中みたいですが

 

不完全な自分が

どんな進化をしていくか

このブログをスタートに

少しずつ読んで

お付き合いいただければ幸いです。

 

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